2015年1月17日土曜日

水師営会見の写真について

1905年1月5日、日露戦争・旅順要塞攻略後の大連市旅順の水師営で、乃木希典大将とアナトーリイ・ステッセリ中将が会見。会見後、昼食を共にし、その後、日露双方の関係者で記念の写真撮影が行われた。
参考:水師営の会見(Wikipedia)

撮影時刻については、大本営写真班撮影・陸地測量部蔵版『日露戦役写真帖』第13巻(小川一真出版部、1905年)のキャプションに、午後一時三十分と記載されている。近代デジタルライブラリーで当該写真を見ることができる。→詳細はこちら。
※画像は近代デジタルライブラリー/国立国会図書館ウェブサイトより転載

しかし、この時、軍使をつとめた第三軍参謀・津野田是重の回想録(『斜陽と鉄血 旅順に於ける乃木将軍』偕行社、1926年)によると、12時15分より約40分昼食をとったのち、中庭に出て記念写真を撮影。その後、中将が、献上しようとした馬に騎乗し乗馬を披露、13時20分には握手をして別れたことになっており、『日露戦役写真帖』の13時30分とは異なる。これもまた近代デジタルライブラリーで読むことができる。→ 詳細はこちら。

会見から数十年経過している点を差し引いても、津野田の記述は事細かく分刻みで書かれており信憑性が高そうではある。この2つの資料だけではどちらが正しいかは分からないが、ただし、両者が示しているのは、約13時から13時30分の間に、この有名な写真が撮られたということであろう。


もう一つこの写真をめぐる話としては、乃木は記者たちの要求に応えず、会見の写真を一枚しか撮影させないことで、降伏した露軍人の名誉を守ったということが美談として残されており、確かに会見写真は一枚しか現存していないようだが、会見にのぞむステッセリ一行の写真は、数枚残されている。例えば、先の『日露戦役写真帖』には、水師営会見所に着こうとする、白馬にまたがったステッセリ将軍と幕僚の一行の写真が掲載されている。→詳細はこちら。
※画像は近代デジタルライブラリー/国立国会図書館ウェブサイトより転載

また、海軍部嘱託という形で、自費で写真班を派遣した関西写真製版印刷合資会社(のちの光村印刷)の写真部が撮影した『日露戦争旅順口要塞戦紀念帖』(博文館、1905年)には、会見を終え、帰路に着くステッセリ一行の写真も掲載されている。ちなみに、この写真の白馬にまたがるステッセリ将軍の前を行くのは、軍使として、ステッセリ中将一行の帰路を先導したとされる津野田是重参謀ではないだろうか。→詳細はこちら。
※画像は近代デジタルライブラリー/国立国会図書館ウェブサイトより転載

ちなみに光村印刷の社史では、有名な会見の写真とともに、「歴史的な「水師営の会見」撮影を成功」と紹介しているが、実際にこの写真は大本営写真班が撮影したもので、光村写真部は、会見前後の写真撮影に成功、というのが正確ではないだろうか。
参考:光村印刷株式会社 沿革



※画像は近代デジタルライブラリー/国立国会図書館ウェブサイトより転載しました。
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